戦国時代、田中國廣が食べたかもしれない兵糧丸を考えてみるvol.1

ど~も~綾町住みの森林セラピスト、一福です。

森林セラピーに何かいいネタがないかと探していて行き当たったのが『武将メシ』。その中に携帯食として「兵糧丸」がありました。そういえば、綾町の有名人、山姥切国広の作者の田中國廣(堀川國廣)は戦国末期の方!
豊後落ちも経験してるし、山伏としても山歩きをしていたはず!携帯食も持っていたはず!
ということで、綾町オリジナルの兵糧丸を考えて作るプロジェクトを始動しました。

兵糧丸は戦国時代の携帯食。土地土地でいろいろなパターンがある。

『武将メシ』によると、戦場に行くときの携帯食であった兵糧丸は、家中によっていろいろなパターンがあったようです。まずは、スタンダードを作ってみようと、今回作った兵糧丸は『武将メシ』に載っていたものを基本に作成しました。ただ、砂糖はまだ高級品だったであろうことから、はちみつと熟し柿に変更しました。

【材料】
だんご粉orいりこもち粉
そば粉
小麦粉
きな粉
すりごま
はちみつor 熟し柿

どんぐり粉

綾町を含む南九州には”いりこもち”という郷土菓子があります。これは、炒っただんご粉でつくった餅菓子。なので、スタンダードなだんご粉をいりこもち粉に変換したレシピも考えました。

また、綾町には「かしのみごんにゃく」とどんぐりデンプンから作る料理も伝わっているため、どんぐり粉も作り、材料にしました。

兵糧丸の作り方は簡単!全部を混ぜ合わせて蒸すだけ

すりごまを含む粉類をいったん全部混ぜ、はちみつor柿の実の裏ごしを入れて混ぜました。まだぽそぽそしているので、少しずつ水を加え、耳たぶより少し固めにまとめました。

携帯食なので、水をあまり使わない方が日持ちするのでしょうが、あまりにもまとまりが悪かったので、水を加えるしかなかったのです。『武将メシ』にはお酒の表記もあったのですが、このころはまだどぶろくの時代かな…と思い、次回への宿題です。

不思議だったのは、柿の実を入れると生地が柔らかくなったこと。「おもしろいね」と話しつつ、団子状に丸めて蒸します。

蒸しあがると色黒になったのは、そば粉のせい? 

蒸したてはもっちりしていてきな粉の風味がよく、甘みがないのに美味しい! ただ、手製のどんぐり粉を入れたものは、最後にわずかですが渋みを感じました。好き好きが分かれそうです。
綾町らしさがあり、堀川国広が食べたかもしれない兵糧丸としてはぜひ入れたい材料ですが、こちらも宿題です。

少量は少し平たくして、フライパンで返しながら弱火で焼いてみました。蒸したものより少し硬かったですが、日持ちはしそうです。

國廣さまが食べたかもしれない兵糧丸。日持ちは1週間くらい

左はだんご粉、右はいりこもち粉で作ったもの。ミカンの皮がついているブロックはどんぐり粉入り。

持ち帰った兵糧丸は翌日少し干しました。翌日は、12月というのに綾町近辺は汗ばむほどの温かさなので寒干しにはなりません(泣)。さらに翌日は雨(泣)。干さなくても少し硬くなり、しっかり噛むとしみじみとおいしいものになりました。
綾町では”餌切れ(えぎれ)”という、少し小腹が空いたときにモぴったりでした。

しっかり晴れた日に干し、さらに表面は堅くなりましたが、きな粉やそば粉、ごまが入っているのでそのまま食べられます。
1日に少しずつ食べて1週間、はちみつを少し多めに入れたものはカビも生えずにまだ食べられます。

國廣さまが食べたかもしれない兵糧丸、また課題をクリアさせたい

綾町の橋にも堀川国広(田中國廣)の像があります。

刀剣乱舞で話題の山姥切国広の「国広」こそ、綾町出身の田中國廣。刀工としてよく知られますが、武士でもあり、伊藤マンショを負ぶって豊後へ逃げたとか。その時に持って行ったかもしれない兵糧丸。
冷蔵庫もなかった時代ですから、季節季節の工夫があったのではないかと思います。
また、兵糧丸ワークショップを行って、綾町らしい兵糧丸を追い求めます。

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