ど~も~。宮崎県綾町の森林セラピスト一福です。
森林セラピーでよくお邪魔する綾神社。御祭神のことを調べているうちに「あれ?」と思いました。
「伊弉冉命(イザナミノミコト)が祭られているのに、伊弉諾命(イザナギノミコト)が祀られていない?」
調べていくと、綾神社には神話の黄泉の国のシーンに出てくる神様たちが多い…。合祀された御祭神の3分の1が、黄泉の国神話に関係がある神々でした。
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綾神社に祀られる神々~黄泉の国と深い関わり~
綾神社には、日本神話の中でも特に有名な、黄泉の国にまつわる神々が祀られています。 黄泉の国とは、死者の国のこと。 国生みを続けた二柱、伊弉諾命(イザナギノミコト)と伊弉冉命(イザナミノミコト)の別れが描かれます。(以下、カタカナで敬称略)
イザナミの死。黄泉の国での物語
日本神話の黄泉の国での物語をざっくりと振り返ってみましょう。
イザナギとともにさまざまな神様を生んだイザナミは、最後に火の神カグツチを生み、大火傷をして亡くなります。愛妻イザナミの死の原因になったカグツチをイザナギは切り殺します。その時にカグツチの血から生まれた五神のうちの一柱がタケミカヅチ。カグツチの屍から生まれた八神のうち一柱がハヤマツミ(右手から生まれる)。
愛する妻を亡くしたことを受け入れられないイザナギは、黄泉比良坂(よもつひらさか)を通り、黄泉の国へイザナミを訪ねます。すでに黄泉の国の住人となっていたイザナミは、「黄泉の神様に相談してくるから待ってて。その間、私の姿を決してみないで」とお願いしますが、しびれを切らしたイザナギは見てしまいます。
見えたのは、醜く腐ったイザナミの姿。イザナギは慌てて帰ろうとします。この時にイザナギは、「もう縁を切ろう。お前には負けないつもりだ」という誓いを立てて唾を吐きます。この唾から生まれるのがハヤタマノヲ。
逃げるイザナギに怒ったイザナミは、黄泉醜女(よもつしこめ)らで追わせます。何とか逃げ延びたイザナギは、黄泉比良坂の出入り口を大きな大きな岩で塞ぎました。岩を挟んでイザナミは「一日に1000人死なせる」といい、イザナギは「それなら1日に1500人誕生させる」と応えます。
この時に現れるのが、ククリヒメとイズミモリ。イザナミの言葉をイザナギに伝え、二神はこの世とあの世(黄泉の国)に無事に分かれます(円満離婚?)。以降、イザナミは黄泉津大神(よもつおおかみ)と呼ばれ、黄泉の国をつかさどる女神になります。
太字で表したのが綾神社のに合祀されている神々。古事記には出てこず、日本書紀にモ一度しか出ないというような、神様も複数いらっしゃいます。
綾神社に合祀される黄泉比良坂神話に出てくる神々のご利益は?
伊弉冉命(イザナミノミコト)
全てのものを生み出したとされる、国生みの女神ですが、最後には、死者の国の女神となります。
夫のイザナギとの間に多くの子どもを産んだので、子授け、安産、夫婦和合、恋愛成就がメインの後利益。また黄泉の国の神として死者を守る神様でもあります。
菊理姫尊(ククリヒメノミコト)
日本書紀のイザナギとイザナミの別れのシーンにだけ登場。死者(イザナミ)の言葉を伝えることから、シャーマンの元祖とよばれます。
また、山は祖先の霊が宿る異界と考えられていた昔、死者と交信できる山の神としてとして祀られました。現在も全国の白山神社に祀られています。交渉事の神として、営業や接客に御利益。
山には水源もあるので、農業農業・畜産の神ともされます。
泉道守(イズミモリノミコト)
黄泉道守者(よもつもりみちひと)の異名を見れば分かるように、黄泉比良坂の番人です。日本書紀には、ククリヒメとともにイザナミの言葉を伝えた。とありますが、古事記では”道反之大神””塞坐黄泉戸大神”とされ、黄泉比良坂をふさぐ巨石とされます。
たたり神を遮る塞(さえ)の神。厄除けにご利益。
速玉之男命(ハヤタマノヲミコト)
イザナミに別れを告げたイザナギの唾から生まれた神様。そのため、離婚の神と呼ばれることもありますが、縁結びの神ともされます。イザナミとともに祀られることも多い神様。愛する人の一部とともにあるというのが、イザナギとイザナミの絆の強さをうかがわせますね。
悪縁を切り、良縁を結ぶ神様。
軻遇突知命(カグツチノミコト)
イザナミが最後に体内から生んだ神様。火山を表しているとも言い、すべての火を支配する神様。火に関するすべての神様のため、火伏せ・消防から台所や家内安全、土地の守護の御利益を持ちます。
炎を使う鍛冶・鉱業・陶芸の守護神。温泉の神様でもあります。
武甕槌命(タケミカヅチノミコト)
カグツチの血から生まれた神様で、刀の神様ともいわれます。出雲の国譲りのシーンにも登場し、力比べをするところから、勝負の神様、相撲の始祖ともいわれます。
麓山祇命(ハヤマツミノミコト)
カグツチの屍の右手から生まれた、山の麓をつかさどる神様。ふもとの平野部の神様は別にいるので、文字通り、山の端(は)、山の端っこをつかさどる神さまです。
山奥と人里の境をつかさどると考えてよいでしょう。あの世とこの世をつなぐ場所のような感じもします。
綾神社の神々に自然とともに生きてきた暮らしを感じる
綾神社の神々を見ていると、山火事や雷、がけ崩れなど、危険が多いところが多かったのではないのかな…と感じます。そのような中で亡くなった人も多かったのかも…と思います。
危険が多い場所によく神社などが建てられますが、今の綾町は、山道も堤防も整備され、災害は減ったようです。
亡くなった人々に思いを馳せつつ平和を考えたり、大きな災害がないようにお祈りしたりするにはピッタリの神社です。
綾神社の神様物語、もう少し続きます、